917開発プロジェクト

ポルシェは1968年に917の開発プロジェクトをスタートさせた。フェルディナンド・ピエヒの指揮によりポルシェ917(Porsche 917 )はプロトタイプレーシングカーのFIA国際メーカー選手権のグループ4(スポーツカークラス)に合わせてわずか10ヶ月で開発され、ホモロゲーションの取得に必要な25台が1969年4月までに完成し、ポルシェ917は同年からレースに出場する。

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図9・1 ポルシェ917(Porsche 917 )はホモロゲーション取得のためクローズドボディの25台が生産され140,000ドイツマルクで市販された。


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図9・2 ポルシェ917初期型のクーペタイプショートテール、1969年日本グランプリにも出場した。



シーズン最初の3レースではトラブルのためリタイアを喫したが、1969年8月のオーストリア1000kmレースでジョー・シファート/クルト・アーレンス組が挙げた初勝利から917のサクセスストーリーは幕を開けることになる。

1969年10月10日 富士スピートウェイで開催された日本グランプリにもシファートはタキ・レーシングチームから参戦している。